《光定戒牒》(読み)こうじょうかいちょう

世界大百科事典(旧版)内の《光定戒牒》の言及

【嵯峨天皇】より

…【目崎 徳衛】 嵯峨天皇は空海,橘逸勢とともに三筆の一人とされる。書の確実な遺品としては823年(弘仁14),最澄の高弟光定が延暦寺一乗止観院で大乗菩薩戒を受けたときに下付された《光定戒牒(こうじようかいちよう)》(国宝,延暦寺)が残されるのみで,光定みずから《伝述一心戒文》にこのことを記している。しかし天皇が書に関心が深かったことは,空海から唐の書跡の名品,徳宗,欧陽詢,張誼,王羲之の書や,八分,行草,飛白などの体の書を献ぜられたり,空海みずからに揮毫を命じていることからもわかる。…

※「《光定戒牒》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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