光悦村(読み)こうえつむら

世界大百科事典(旧版)内の光悦村の言及

【本阿弥光悦】より

…加賀の前田家から200石の食知を父光二についでうけ,のち孫光甫の子光山が加賀本阿弥家の祖となる。1615年(元和1)徳川家康より洛北の鷹ヶ峰に敷地を与えられたので,一族や工匠とともに住み,法華信仰をもとにした生活で,いわゆる光悦村をつくった。 光悦の漆芸は,斬新な意匠と器形を創出している。…

【琳派】より

… 刀剣の鑑定,磨砺(まれい),浄拭を業とする上層町衆の家に生まれた光悦は,寛永三筆の一人に数えられる書家であり,陶芸や漆工の分野でもたぐいまれな作品を遺した。また,雲母摺(きらずり)料紙装飾をともなった豪華な装丁のもとに日本の古典文学を出版した嵯峨本や,1615年(元和1)徳川家康から拝領した鷹ヶ峰の地に営んだ光悦村と呼ばれる芸術村など,傑出した芸術指導者としての一面ももっていた。琳派における総合性は光悦に端を発するものである。…

※「光悦村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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