児玉党(読み)こだまとう

世界大百科事典(旧版)内の児玉党の言及

【児玉[町]】より

…【千葉 立也】
[歴史]
 児玉郡の名は,747年(天平19)9月26日の聖武天皇勅旨(《東大寺要録》)に〈武蔵国児玉郡五十戸〉とあるのが初見で,《和名抄》では〈古太万〉と訓じている。武蔵七党の一つ児玉党の本拠地で,その流れをくむ庄,蛭川,阿佐美,塩谷,真下らの中世武士が周辺に割拠していた。文明年間(1469‐87)ごろ関東管領上杉顕定が現在の児玉町の地に雉岡(きじがおか)城(八幡山城)を築いて家臣の夏目氏をおいたが,のち小田原北条氏の支配に属し,北条氏邦の家臣横地氏が在城した。…

【旗指物】より

…旗の布地は八幡神の宿る聖域であるため,直接図柄をそこへ描き込むことがはばかられ,神の依代の一つとして付加するという意味もあったのであろう。児玉党と呼ばれる武士団は,その団結のシンボルとして唐団扇(とううちわ)の作り物を竿に結びつけていたようで,後世これらの子孫の家々は旗に唐団扇(軍配団扇)を描くようになり,これがやがて家紋となった。源氏の白旗が武家の主流となったゆえか,家紋も二,三を除いては白地に黒の単色となった。…

【武蔵七党】より

…七党の数え方は一定せず,横山,猪俣,児玉,丹(たん)(丹治),西,野与(のよ),村山とする説,野与,村山の代りに綴(つづき),私市(きさい)を入れる説,西,村山を省いて綴,私市を加える説など種々の説がある。そのほとんどが武蔵守,武蔵介の子孫といわれ,横山党は小野篁(たかむら)の子孫武蔵守孝泰,猪俣党は孝泰の子武蔵介時資,児玉党は武蔵介有道(ありみち)維能,丹党は丹治氏で代々武蔵守を相継,西党は武蔵守日奉(ひまつり)宗頼,私市党は武蔵権守(姓不詳)家盛にそれぞれ始まるという。野与・村山両党は桓武平氏平忠常の子孫である。…

※「児玉党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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