世界大百科事典(旧版)内の全協刷新同盟の言及
【全協】より
…全協は合法組合の内部に〈革命的反対派〉を組織し,機関紙《労働新聞》をはじめ各産別ごとの機関紙などを通じ,他の組合にも一定の影響を及ぼしたが,あいつぐ検挙で安定した指導部をもちえず,30年の川崎武装メーデー事件(川崎メーデー事件ともいう)や32年の天皇制打倒綱領採択に示されるように極左的方針をとったこともあって,しばしば内部対立を生じ,組織は混乱した。なかでも佐藤秀一,神山茂夫らの全協刷新同盟(1930年6月発足)との対立は国内で解決しえずプロフィンテルンの批判をうけた。全協は全国的産業別組合の統一体として,金属,化学,出版,土建,繊維,交通などの産別組織を有していたが,多くは大衆的基盤を欠き,少数の活動家集団にとどまった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」