世界大百科事典(旧版)内の全地公会の言及
【公会議】より
…ただし9世紀までの全体的な会議は,いずれも東方でローマ皇帝やコンスタンティノープル総主教によって開催されたもので,ローマ教皇を招集者としてはいないが,カトリック教会はそのうちの八つと1123年の第1ラテラノ公会議以後,1962‐65年の第2バチカン公会議までの13会議を加えた21を世界教会会議としている。しかし東方正教会とプロテスタント諸教会は325年の第1ニカエア公会議から787年の第2ニカエア公会議までの7回を全体的会議(東方正教会の用語では全地公会,プロテスタント教会の用語では総会議)としているにすぎないし,プロテスタント教会のなかには最初の四つだけを総会議とするものもあって,公会議に普遍性をどう見るかは現実にはキリスト教内で必ずしも一致しているわけではない。しかし信仰や慣習について紛糾や争論が生じた場合,全教会と協議するのは使徒教会以来行われていたので(《使徒行伝》15),公会議はキリスト教会のその時々の動向を映す最良の鏡である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」