全奴隷解放法(読み)ぜんどれいかいほうほう

世界大百科事典(旧版)内の全奴隷解放法の言及

【ペドロ[2世]】より

…70年に共和党が誕生し,71年には奴隷の新生児を自由とする法律が公布された。このころより89年までの期間に皇帝はたびたび欧米諸国を旅行し,皇女イザベルが幾度も摂政の地位に就き,88年の全奴隷解放法はイザベルの署名によって承認された。自由主義的な皇帝は共和主義思想に理解を示し,奴隷制に反対の立場であったが,これを不満とする大農園主階級と,すでに対立関係にあった教会の離反によって帝政の二大支柱を失い,89年にフォンセカの指導する無血クーデタにより帝政は打倒された。…

※「全奴隷解放法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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