世界大百科事典(旧版)内の八条の教訓の言及
【古朝鮮】より
…これにつぐ箕子朝鮮については,顔師固も指摘しているように,《史記》と《漢書》の叙述では細部において若干の相違があるが,基本的にはほぼ同一といえよう。すなわち,殷代末期,紂(ちゆう)王の師をつとめた賢人箕子は殷の滅亡に際し,東行して現在の朝鮮の西北部に亡命し,この地に国を建てて王となり,人民にいわゆる〈八条の教訓〉を示して理想的な統治を行ったという。八条の教訓というのはその内容からみて,恐らく後世の慕華思想の投影とみられる。…
※「八条の教訓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」