世界大百科事典(旧版)内の六頂山墓群の言及
【渤海】より
…同年と59年の調査により石獅,鍍金銅器,玉璧,陶器など多くの出土品をみたが,とりわけ駢麗(べんれい)文を唐代の標準的な楷書体で刻んだ墓碑は貴重である。これによって碑が780年に建てられ,六頂山墓群が渤海前期王族の墓地であり,また敖東城がその都城旧国の所在地であったことが知られる。【西谷 正】
[渤海と朝鮮史]
高麗の太祖王建は渤海を〈親戚の国〉といい,建国当初に使者を送ってきた契丹に対して,渤海を裏切って滅ぼしたと非難して絶交している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」