世界大百科事典(旧版)内の共伯和の言及
【周】より
… そのため第10代厲王(れいおう)は,栄夷公を卿士として,王室収入の回復を図ったが,これに反対する貴族層に追われ,前841年に彘(てい)(山西省霍県)に亡命し,14年後彘で死亡した。この亡命期間,有力貴族であった共伯和が政治を代行した(共和)。厲王の死後,子の宣王が即位し,一時王室の力を再興し,南進を企て,北方の蛮族の南下を阻止したが,王権の強化を急ぎ,再び貴族の不信を招いた。…
※「共伯和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」