世界大百科事典(旧版)内の内ノ岱の言及
【小坂[町]】より
…1861年(文久1)に小坂鉱山が発見されてから発達し,明治末期から大正初期には人口3万人近くを数えた。その後一時衰微したが,1959年内ノ岱(うちのたい)に黒鉱の新鉱床が発見され,再び活気を呈するようになった。昭和60年代まで4鉱山があったが,急激な円高や鉱量の涸渇などによりすべて終掘となった。…
※「内ノ岱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…1861年(文久1)に小坂鉱山が発見されてから発達し,明治末期から大正初期には人口3万人近くを数えた。その後一時衰微したが,1959年内ノ岱(うちのたい)に黒鉱の新鉱床が発見され,再び活気を呈するようになった。昭和60年代まで4鉱山があったが,急激な円高や鉱量の涸渇などによりすべて終掘となった。…
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