世界大百科事典(旧版)内の内田茂十郎の言及
【神田上水】より
…水道料は水銀(みずぎん)と呼ばれ,武家方からは石高割で,町方からは間口割で徴収した。内田茂十郎は,1732年(享保17)から同家が水銀を徴収するようになったと称しているが,茂十郎が水元役を退役してからは江戸城御金蔵納めになった。神田上水の保全のために目白下大洗堰までは沿岸の村々が持場をきめて上水縁の草を刈り,上水を汚さぬように監視に当たった。…
※「内田茂十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」