世界大百科事典(旧版)内の再版農奴制の言及
【グーツヘルシャフト】より
…16世紀から19世紀初頭までエルベ川以東のドイツで支配的な領主制であり,同様なタイプは広く東ヨーロッパ地域においても認められる。F.エンゲルスはこれを再版農奴制die zweite Leibeigenschaftと表現し,日本では農場領主制と訳されることもある。この領主制下では農民はラスベジッツLassbesitzというきわめて劣悪な土地保有権のみをもち,領主に人格的に隷属し所領に緊縛されている農奴あるいは世襲隷民Erbuntertanであった。…
【東欧】より
…
[歴史]
民族大移動以後15世紀まで,東欧の社会的発展は西欧のそれと同じ方向をたどっていた。だが,西欧との経済的分業が進んだ15世紀後半から17世紀前半までの〈長い16世紀〉の間に,東欧の中のポーランド,チェコ,オーストリア,ハンガリー北部では,自立しつつあった農民が再び封建領主のもとに従属させられ,領主の西欧市場向け商品生産(穀物,肉,砂糖,ブドウなど)のための賦役労働に従事させられ,いわゆる〈再版農奴制〉の成立を見(これらの地方を〈東中欧〉と呼ぶ),他方バルカン諸地方では,オスマン帝国のスルタンの所有地を耕作する小農民を,軍人であり徴税請負人であるシパーヒーが支配するという〈トルコ的封建制(ティマール制)〉が成立した(この地方を〈南東欧〉と呼ぶこともある)。いずれにしてもこれ以後東欧では,自立農民や工業や都市の発展は制限されゆがめられ,民族国家の萌芽的発展が見られず,多民族的帝国に諸民族が包摂されることとなった。…
【農奴制】より
… 第2は,封建社会の内部で領主に対する隷属度が特に強い領民を指す場合で,経済的には封建地代の最も過酷な形態である労働地代(賦役)が,また法的には非自由身分が特徴とされる。このような意味での農奴制は,中世初期の西欧で広く存在した後,中世盛期には生産物・貨幣地代を給付する隷農に取って代わられ,さらに16世紀から19世紀までの東ヨーロッパに再出するとされる(再版農奴制と呼ばれる)。 第3は,ヨーロッパ中世社会で,特定領主との人身的な結びつきから由来する典型的には非自由と表現されるような身分的制約を指す場合。…
【賦役】より
…西欧で拡大する農産物需要を目当てに市場向けの農業生産を行うべく,領主は農民保有地を犠牲として領主直営地を拡大し,週賦役の形をとるまでに賦役を増徴したからである。この場合にも,農民は賦役に生産用具を携行し,婦女子も領主経済に協力しなければならなかったから,農民経営の自立性は著しく攪乱され,農民は再版農奴制と呼ばれる劣悪な地位に落とされた。こうして,賦役が農民負担の主たる形態となった東欧では,19世紀に上から進められた近代化が,その廃止(農奴解放)を大きな課題としなければならなかった。…
【プスタ】より
…これはほぼ16世紀の間に成立した領主制農場経営に発する。そこでは領主に農奴が再び身分的に従属して賦役をした(〈再版農奴制〉という)。19世紀に入って農奴は身分的に解放されたが,領主経営は土地なし農奴を定住雇農として利用して地主経営(ユンカー経営)に移行した。…
【領主制】より
… 以上のようなイギリスとフランスの場合に比較して,さらに露骨なかたちで領主制の強化が行われたのは,エルベ川より東の東部ドイツにおいてであった。16世紀以降の東部ドイツ(プロイセンの一部)では,農民の土地保有権が弱かったので,領主たちは農民から土地を取り上げて広大な直営地を形成するとともに,農民を身分的に不自由な農奴の地位に落とし(再版農奴制と呼ばれる),それら農奴の賦役労働によって直営地で穀物生産を増加させて収入の増大を図った。こうして直営地で生産された穀物が国際的な商品として輸出されるようになるにつれ,農奴の賦役労働に基づく領主の直営農場はますます拡大し,17世紀のうちにグーツヘルシャフトが形成された。…
※「再版農奴制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」