世界大百科事典(旧版)内の《処女峰アンナプルナ》の言及
【アンナプルナ[山]】より
…北面の大雪原と氷雪壁のルートを初登したエルゾーグとラシュナルの2人は,悪天に阻まれて悲惨な下降を続け,死の一歩手前で収容された。下山の道々で手足の指を切除したエルゾーグが病床で口述した《処女峰アンナプルナ》(1951)は世界各国で愛読された。南ろくポカラから見る東西60kmに及ぶこの山群の展望も有名。…
【エルゾーグ】より
…1950年ヒマラヤのアンナプルナ遠征隊長として人類初めての8000m峰登頂に成功した。帰途凍傷で手足の指を失うが,このときの記録《処女峰アンナプルナ》(1951)は名著として知られる。その後シャモニの国立登山スキー学校校長,ド・ゴール政権下でスポーツ大臣を歴任,シャモニ市長もつとめた。…
※「《処女峰アンナプルナ》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」