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凱雲(読み)がいうん

世界大百科事典(旧版)内の凱雲の言及

【太良荘】より

…忠政の子若丸は叡山の山僧丹生出羽房雲厳となり,78年(治承2)知行国主により公文職に補任され,治承・寿永の内乱を若狭最大の在庁官人である稲庭時定の指揮下で戦い,鎌倉殿御家人になった。雲厳は師の凱雲をこの地に招き,73年(承安3)薬師堂を建立,自己の所領末武名を預け,一方,凱雲はさらに86年(文治2)馬上免を開発する。しかし時定が失脚,若狭(津々見)忠季が守護として保地頭職となるに及び,雲厳の立場は苦しくなり,1208年(承元2)時定の子時国に所領を譲って引退した。…

※「凱雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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