世界大百科事典(旧版)内の出石藩一揆の言及
【打毀】より
…1686年(貞享3)の信濃松本藩(多田加助騒動)は全藩的強訴の最初であり,動員された一揆勢はこのとき松本城下の有力商人を打ち毀した。96年(元禄9)の但馬出石藩一揆では藩権力と結託した城下豪商を打ち毀したが,打毀軒数の多さとその徹底ぶりにおいて注目される。加助騒動とともに打毀の初発的事例として画期的といえる。…
※「出石藩一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…1686年(貞享3)の信濃松本藩(多田加助騒動)は全藩的強訴の最初であり,動員された一揆勢はこのとき松本城下の有力商人を打ち毀した。96年(元禄9)の但馬出石藩一揆では藩権力と結託した城下豪商を打ち毀したが,打毀軒数の多さとその徹底ぶりにおいて注目される。加助騒動とともに打毀の初発的事例として画期的といえる。…
※「出石藩一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...