前衛党(読み)ぜんえいとう

世界大百科事典(旧版)内の前衛党の言及

【革命】より

… 以上のような革命に対する古典的マルクス主義のアプローチを前提としつつ,より高次の資本主義の発展段階=帝国主義段階において,しかも相対的中進国であるロシアにおける革命を成功裡に指導することによって,現代の革命理論に大きな寄与をなしたのがレーニンであった。レーニンのこの点での貢献は多岐にわたるが,その中でもとくに重要なのは,帝国主義戦争の不可避性を見通したうえでの,〈帝国主義戦争を内乱へ〉のテーゼ,〈帝国主義のもっとも弱い環〉における革命勃発の予見とそこにおける労農同盟を基礎としたブルジョア民主主義革命のプロレタリア社会主義革命への強行転化の戦略,さらに革命の目的意識性と組織性とを体現する〈前衛党〉の理論などである。レーニンの革命理論は,彼の創設したコミンテルンをとおして,全世界的に,つまり発達した資本主義諸国のみならず,植民地,従属国,今日の発展途上国における革命の戦略・戦術にも巨大な影響を与え,また陰に陽に与えつづけている。…

【共産党】より

…共産党と社会民主主義政党との区別は,第1次大戦の勃発による第二インターナショナルの分裂にその歴史的起源をもつが,前者は後者を社会改良主義政党とみなしてきた。なお,共産党が前衛党(前衛)であるということの意味は,それが労働者階級の先進分子を結集した労働者階級の政治的指導集団であるということであって,M.ウェーバー的意味での大衆政党(党規律の厳格な大量の党員を有する組織政党)の観念と矛盾するわけではない(たとえば,大衆的前衛党という用例)。 共産党の起源をマルクス,エンゲルスが組織した1847年の共産主義者同盟,そして第一インターナショナル(インターナショナル)に求める見方もあるが,より直接的には,第1次大戦の勃発による第二インターナショナルの分裂・崩壊,レーニンらの指導による1917年11月のロシア革命の成功を経て,19年3月に第三インターナショナル(正式には共産主義インターナショナル,略称コミンテルン)という世界単一共産党が創設されたことが,かつて世界に存在した100を超える各国共産党などの政党の真の起源となった。…

【前衛】より

… 19世紀西欧の労働運動では,労働組合や大衆とは区別され,それを指導する独自の政党という前衛の考え方はあまりなかった。前衛の理念を提出したのは20世紀の革命家レーニンであり,彼は《何をなすべきか》(1902)などの著作において,階級や労働大衆から区別された少数の職業革命家からなる党組織という前衛党論を展開した。彼はロシアの労働者の意識が自然発生的であり,また,官憲の弾圧が厳しい状況のもとで革命運動を行う必要から,この考えを主張した。…

※「前衛党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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