割貝法(読み)わりがいほう

世界大百科事典(旧版)内の割貝法の言及

【漆工芸】より

… 李朝(1392‐1910)は朝鮮の王朝のなかでもっとも長い統治年数をもつが,そのわりには漆工芸にめだった活動はみられないようである。その主流は高麗時代同様に螺鈿にあったが,新たに割貝法と呼ばれる手法が登場して,高麗の螺鈿とはおよそかけ離れた調子を示し,以後の螺鈿の本流となったことが目をひく。とくに厚貝を用いて製作された螺鈿器は,のちに日本の螺鈿にも強い影響を及ぼした。…

【螺鈿】より

…日本でも〈花唐草螺鈿膳,椀〉(明月院),〈花唐草螺鈿箱〉(MOA美術館)などが作られ,もっぱら薄貝が用いられるようになり,その青色の光彩から青貝の称が生まれて,螺鈿を〈アヲカイ〉と訓ずるまでになった。なお李朝螺鈿には,貝を割ったり,乳鉢でくだき,文様に再構成する〈割貝法〉があり,これもとり入れられている。また南蛮貿易の隆盛に伴って輸出用に洋風漆器が大量に作られ,一方で国内向けに異国趣味の意匠による器が作られる。…

※「割貝法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」