劉濞(読み)りゅうび

世界大百科事典(旧版)内の劉濞の言及

【呉楚七国の乱】より

…諸侯王には広大な封地と国内の統治権が与えられ,しだいに強大化し,独立国の様相を呈した。景帝は鼂錯(ちようそ)の意見で封地削減策を実施,これに反発した呉王劉濞(りゆうび)ら7ヵ国の諸侯王が挙兵,数ヵ月後に平定された(前154)。ついで政府は封地の細分化,統治権の制限を行い,実質上郡県制が実現する。…

【泰州】より

…長江北岸のデルタは南岸のデルタに比べ伸長が遅れ,漢代にはこの付近はようやく陸化したばかりであった。海岸の低湿地では製塩が行われ,前漢初期,呉王劉濞(りゆうび)(前215‐前154)が開発を進め,運河を開いて灌漑も進めたという(運塩河,今の通揚運河の前身)。同時にこの地に海陵県が置かれ,一時期廃されたものの,以後元代まで存在した。…

※「劉濞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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