加藤虎之助(読み)かとうとらのすけ

世界大百科事典(旧版)内の加藤虎之助の言及

【加藤清正】より

…安土桃山・江戸初期の肥後熊本の城主。尾張国愛智郡中村生れ。幼名夜叉丸。元服して虎之助清正。豊臣秀吉と同郷出身で秀吉の子飼いの家臣。83年(天正11)の賤ヶ岳(しずがたけ)七本槍の一人。功により河内国等3000石をあてがわれる。85年従五位下主計頭。88年,朝鮮出兵の主要員として肥後半国19万5000石の領主に任命される。92年文禄の役に1万人出兵し,オランカイ(豆満江近辺の女真族の地)まで攻め,朝鮮2王子を捕縛。…

※「加藤虎之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」