世界大百科事典(旧版)内の加賀門徒の言及
【一向一揆】より
…このとき,大坂石山御坊(1496年(明応5)設立)を拠点とする弟の実賢や摂津・河内門徒は畠山氏との関係もあってこの命令を拒否した。そこで,実如は実賢らを追放し大坂を接収し(大坂一乱),加賀門徒1000人を誉田城攻めに派遣した。このようにこの時期の本願寺は戦国動乱の中に入りまじって活動し,勢力拡張をし,一向一揆は一つの本願寺の武装勢力として活動した。…
※「加賀門徒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」