労農芸術家連盟(読み)ろうのうげいじゅつかれんめい

世界大百科事典(旧版)内の労農芸術家連盟の言及

【ナップ】より

…5月に創刊された機関誌《戦旗》には,小林多喜二,徳永直,三好十郎らの新人が登場してきた。青野季吉らの労農芸術家連盟が通称〈文戦派〉(機関誌《文芸戦線》の略)と呼ばれたのに対して〈戦旗派〉と呼ばれた。同年12月,文学部,演劇部の構成をプロレタリア作家同盟,同演劇同盟,同美術同盟などそれぞれ独立組織にし,協議体に組織変更して名称を全日本無産者芸術団体協議会とした(略称は同じ)。…

【プロレタリア音楽】より

… 日本では,日本プロレタリア文芸連盟(中野重治,久板栄二郎,千田是也,佐野碩ら)が1926年11月に日本プロレタリア芸術連盟(略称〈プロ芸〉)に改組された際に音楽部が加えられた。また27年6月にはプロ芸から労農芸術家連盟(青野季吉,村山知義,蔵原惟人ら。略称〈労芸〉)が分裂,同年11月にはこの労芸から林房雄,蔵原惟人,山田清三郎らが脱退して前衛芸術家同盟を結成したが,この同盟にも音楽部が設立された。…

【プロレタリア文学】より

…そこから小林多喜二の《一九二八年三月十五日》(1928)や中野重治の詩《雨の降る品川駅》(1929)や三好十郎の戯曲《疵だらけのお秋》(1928)などの緊張した美をふくむ革命文学を生みだすとともに,小林をはじめ佐多稲子,徳永直のようなすぐれた新人を輩出させた。これに対して青野らの《文芸戦線》を中心とする労農芸術家連盟(略称,労芸。文戦派)はしだいに色あせて見えるようになり,やがては実力派だった平林たい子,黒島伝治,細田民樹(1892‐1972)らが脱退し,その多くはナップに参加した。…

【文芸戦線】より

…25‐26年に葉山嘉樹《淫売婦》《セメント樽の中の手紙》,黒島伝治《銅貨二銭》,林房雄《林檎》,山田清三郎《幽霊読者》,青野《自然生長と目的意識》などが発表され,プロレタリア文学の新しい発展の中心となった。さらに27年には黒島《橇》,平林たい子《施療室にて》などの佳作がのったが,文学運動の四分五裂の抗争期をへてこの雑誌には社会民主主義の立場にたつ労農芸術家連盟の青野,前田河,葉山,平林らが残り,いわゆる〈労芸派〉〈文戦派〉の機関誌として,ナップ派の《戦旗》と鋭く対立した。31年《文戦》と改題,32年5月に労芸が解散して7月に廃刊となった。…

※「労農芸術家連盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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