勝田三郎(読み)かつたさぶろう

世界大百科事典(旧版)内の勝田三郎の言及

【勝間田氏】より

…源家累代の家人と思われ,保元の乱(1156)のときすでに源義朝に従う者として〈遠江国には勝田〉の名が見える。鎌倉幕府のもとでは御家人に列し,1186年(文治2)勝田三郎(一に勝田平三)成長は玄蕃助(げんばのすけ)に任じられた。1195年(建久6)の東大寺再建供養の際には源頼朝に従ってこの成長も上洛し供養の席に参列した。…

※「勝田三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む