世界大百科事典(旧版)内の北国荘園の言及
【河口荘】より
…越前国坂北郡(現,福井県坂井郡芦原,金津,坂井の各町にわたる一帯)の興福寺(春日社)領荘園。河口荘十郷(本庄,新,王見,兵庫,大口,関,溝江,細呂宜,荒居,新庄)と坪江郷(上,下)を併せて北国荘園とも称され,大和国以外の興福寺領荘園では最大規模であった。《春日権現験記》には康和年中(1099‐1104)白河法皇が一切経料所として河口荘を春日社へ寄進したと伝え,また興福寺大乗院門跡尋尊の《大乗院寺社雑事記》や1464年(寛正5)〈春日社毎日不退一切経方条々〉には,その寄進は1100年(康和2)のこととしているが,確かなことは明らかでない。…
【坪江郷】より
…越前国坂北郡(現,福井県坂井郡金津(かなづ),三国(みくに),芦原,丸岡の各町にわたる地域)の興福寺(春日社)領荘園。上・下郷に分かれ,隣接の河口荘十郷と併せて北国荘園とも称された。この郷名は《和名抄》にみえるが,後の坪江上郷のうち現在の丸岡町坪江を含む地域に比定される。…
※「北国荘園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」