世界大百科事典(旧版)内の北樺太石油会社の言及
【オハ】より
…ロシア革命後の内戦中の1919年に日本海軍は国内石油会社5社に〈北辰会〉を組織させてオハの石油掘削に着手し,尼港事件後の北樺太保障占領中には海軍自らが石油調査に乗り出した。25年の日ソ基本条約によって日本は北樺太における油田の半分に対する権益を獲得し,26年に北樺太石油会社を設立して石油の生産に努め,オハでの採油量は37年までは年産15万tをこえていた。【秋月 俊幸】。…
【サハリン】より
…このころから強制徴用による朝鮮半島からの労働者が急増し,終戦時の朝鮮人人口は約4万と推定されている。この間ロシア革命期の1920年,日本は尼港(にこう)事件を理由に北サハリンを保障占領したのち,25年の〈日ソ基本条約〉によってこの地方の石油・石炭採掘に対する45年間の利権を獲得し,北樺太石油会社と北樺太鉱業会社を設立して現地での生産にあたった。45年ソ連の対日参戦で南サハリンは再びソ連に併合され,その後の発展は著しいが,主要都市および産業もほとんどが日本時代のままに引き継がれている。…
※「北樺太石油会社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」