北法相宗(読み)きたほっそうしゅう

世界大百科事典(旧版)内の北法相宗の言及

【大西良慶】より

…父は旧姓片岡,妙楽寺智光院の住職であったが,明治の排仏により還俗し大西姓を名のる。15歳で興福寺に入り,唯識を佐伯定胤(さえきじよういん)に学び,25歳で興福寺231代別当,40歳で清水寺住職となり,91歳で北法相(きたほつそう)宗を設立する。日露戦争に従軍僧として加わり,戦争が罪にならぬ道理はないと悟って,以後平和運動に専念する。…

※「北法相宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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