世界大百科事典(旧版)内の北海帝国の言及
【クヌット[2世]】より
…ついで18年兄ハーラル2世の死によりデンマーク王位を継承した。またノルウェー支配をも目ざし,28年ノルウェー王オーラブ2世を追放し,さらに30年スティクレスタStiklestadでのオーラブの戦死で,イングランド,デンマーク,ノルウェーにまたがる〈北海帝国〉を成立させた。1027年にはローマにおけるドイツ国王コンラート2世の皇帝戴冠式に列席し,これを機にデンマーク・ドイツ国境問題を解決した。…
【デンマーク】より
…デンマーク最初の王たちは自地域の最南に土塁〈ダーネビルケ〉を構築し,交易地ヘゼビュー(ハイタブ)の防衛と祖国防衛に力を注ぎ,この活動の延長上に,王の率いるバイキング活動が存在し,フランク王国とはアイダー川を国境として約定した(811)。やがてイェリングの地で興った王家は,970年ころハーラル青歯王Harald Blåtand(在位935ころ‐985ころ)治下で王国をキリスト教化し,その子スベン1世がイングランドを征服しその王を兼ね(1014),その次男クヌット2世が1016年イングランド王位に就き,18年兄ハーラル2世の没後はデンマーク王を兼ね,さらに28年ノルウェー王にも推戴され,3王国の王となった(これは北海帝国と呼ばれる)。クヌットの姉エストリドの子スベン2世Svend II(在位1047‐74)は,その統治期間中に現代のデンマークにつながる内政的秩序を打ち立て,後の王はなんらかの形で彼に血統をさかのぼらせることになる。…
※「北海帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」