十人火消(読み)じゅうにんびけし

世界大百科事典(旧版)内の十人火消の言及

【火消】より

…定火消は以後その数を増し,95年(元禄8)には15組となった。しかし1704年(宝永1)10組に減少され,以後幕末までその規模が続いたので,十人火消ともよばれた。その火消屋敷は八重洲河岸,赤坂溜池,半蔵門外,御茶ノ水,駿河台,赤坂門外,飯田橋,小川町,四谷門外,市谷佐内坂の10ヵ所で,いずれも江戸城の北部と西部にあたっていた。…

※「十人火消」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」