世界大百科事典(旧版)内の十大紡の言及
【紡績業】より
…38年3月には綿糸は配給制となり,次いで6月には軍需向けなどを除く国内向け綿製品の製造・加工・販売が禁止され,7月からは綿製品輸出実績に対して綿花輸入が割り当てられる輸出入リンク制が実施され,同年から綿糸生産は減少に転じた。次いで〈経済新体制〉に即応するために,40‐43年に3次に及ぶ企業整備が行われ,76社あった紡績会社は100万錘を基準として10社(大日本,東洋,鐘淵,富士瓦斯,日清,倉敷,大和,敷島,日東,呉羽で,十大紡といわれる)に統合されるとともに,工場の軍需工場への転用,機械のスクラップとしての供出が進められ,さらに戦災被害も加わって,紡績錘数は敗戦時には最盛期(1938)1255万錘に対して,わずか206万錘にまで減少した。また,戦争にともなう紡績10社(払込資本10億円)の損失額は,在外財産8億円弱を含めて約36億円に上った。…
※「十大紡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」