世界大百科事典(旧版)内の千里長城の言及
【高麗美術】より
…【菊竹 淳一】
[建築]
新羅時代の政治・文化の中心は,慶州を中心とした朝鮮半島東南部に偏在していたが,高麗時代に入って,北部の開城に首都がうつされるとともに,北進政策が進められ,顕宗(在位1010‐31)のときには首都に外城を築いた。また半島西側の鴨緑江河口から東海岸の定平に至る千里長城を築いて北方民族に対する防備を固めた。開城には都城北辺の松岳山麓の満月台に王宮が設けられ,城内には仏教を国教として無数の寺院が建てられた。…
※「千里長城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」