升屋宗助(読み)ますやそうすけ

世界大百科事典(旧版)内の升屋宗助の言及

【料理茶屋】より

…料理もよし〉といい,生洲では柏屋,松源が繁盛しているともいっている。ちなみに江戸洲崎の升屋宗助が祝阿弥といったのも円山の茶屋にならったものであった。大坂では浮瀬(うかむせ)が最も広く知られた店で,京都にも江戸にもこれを称する店があった。…

【料理人】より

… 日本の料理人が,料理人本来のしごとをなしうるようになったのは,江戸後期に町人層が十分に力を蓄積してからと思われる。安永~天明(1772‐89)ころ全盛を誇った江戸洲崎の升屋宗助,それに対抗した樽屋三郎兵衛,享和(1801‐04)ころから台頭した八百善の八百屋善四郎などは,その料理が一部特権階級だけのものだったとしても,日本料理の味覚の質を向上させたといえる。現在の日本では和風料理店の料理人を板前と呼んでいる。…

※「升屋宗助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む