世界大百科事典(旧版)内の南京律の言及
【律宗】より
…一方,1211年(建暦1)に入宋求法より帰国した泉涌寺の俊芿(しゆんじよう)は中国直伝の律書とともに律宗を伝え,泉涌寺を天台・禅・律3宗兼学の道場として律宗の復興をはかり,後鳥羽天皇,藤原道家,北条泰時をはじめ朝野の帰依をうけた。俊芿の伝えた律を北京律と称し,唐招提寺,西大寺の系統を南京律と称している。しかしその後両者互に交流し,さらに叡尊は弟子を入宋させて律三大部を輸入するなど,相互の見解の相違はまったく解消するにいたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」