世界大百科事典(旧版)内の南北国時代の言及
【新羅】より
…後半の白村江の戦以後も百済の使節が日本に4度派遣され,滅亡後の高句麗の使節が日本に9度派遣されているが,これらは任那の調と同様,新羅が対唐戦争にそなえ,日本との対立を緩和させるため百済の調,高句麗の調を送ったものである。三国時代
[第3期――王権確立期]
この時期以後を日本では統一新羅というが,朝鮮民主主義人民共和国などでは渤海と合わせて南北両国家併存時代(南北国時代)とする。この時期は律令体制の発展期で,貴族文化の最盛期でもある。…
【渤海】より
…そして20世紀前後の近代啓蒙期になると,渤海を高句麗の継承者として新羅などと同列に評価し,自国史に位置づけようとする努力がなされ,今日に至る研究の直接の出発点となっている。現在では,こうした成果をふまえて文献・考古両側面から渤海史の研究が行われ,同時期に並存した新羅・渤海を南北国時代という時代区分を立てて,朝鮮史の体系において論ずべきであるという意見が有力になっている。【石井 正敏】
[日本との関係]
建国初期の渤海のおかれた国際環境は,北西の突厥(とつくつ),南の新羅に取り囲まれた厳しいものであった。…
※「南北国時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」