南北宗論(読み)なんぼくしゅうろん

世界大百科事典(旧版)内の南北宗論の言及

【文人画】より

…しかし明代の初期から中期にかけては,杭州を中心に南宋画院絵画を継承した浙派と呼ぶ職業画家たちがおり,互いに激しく対立した。両者の対立は,結局,呉派から出た明末の董其昌(とうきしよう)の南北宗論によって終止符を打たれ,呉派の圧倒的勝利に終わった。董其昌の南北宗論は実は南宗正統画論であり,中国の絵画を南宗(なんしゆう)と北宗(ほくしゆう)の2様式に分け,李思訓・南宋院体・浙派と続く系譜を北宗,王維・董源・米芾・元末四大家・呉派の系譜を南宗とし,南宗の北宗に対する正統的優位を主張した。…

※「南北宗論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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