南宮説(読み)なんぐうえつ

世界大百科事典(旧版)内の南宮説の言及

【一行】より

…彼はまず梁令瓚と黄道游儀を作って太陽,月,5惑星の運行および恒星の位置を測定し,また水力で動く天球儀(水運渾象)を製作した。723年からは南宮説(なんぐうえつ)とともに大規模な子午線測定を実施して1度が351里80歩(唐尺。123.7km)にあたるという結果を得た。…

【大衍暦】より

李淳風の麟徳暦(儀鳳暦)に代わって729年(開元17)から33年間施行された。一行,南宮説(なんぐうえつ)らは南は交州から北は長城の北の鉄勒に至る子午線測量を実施し,緯度,日晷(につき),日食の食分,恒星の位置の観測を行い,新暦の編成のために全土に及ぶ大規模な天文測量を実行した。標準点は陽城(河南省登封県告成鎮付近)に置かれた。…

※「南宮説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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