南山律宗(読み)なんざんりっしゅう

世界大百科事典(旧版)内の南山律宗の言及

【律宗】より

…東晋時代に《十誦律》《四分律》《摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)》などの律部経典が中国に伝訳されると,律に関する研究が盛んとなり,特に《四分律》が北魏の法聡と慧光(468‐537)によって重視され,四分律宗が成立するが,のちに三つの分派を生じた。慧光の系統をうけた唐初の道宣は,終南山に住して《四分律行事鈔》をはじめとする戒律学の5大部を著して南山律宗を開いた。一方,法励(ほうれい)(569‐635)は《四分律疏》を著して相部宗を開き,その弟子の懐素(625‐698)は《四分律新疏》を撰して東塔宗を開いた。…

※「南山律宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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