世界大百科事典(旧版)内の南山集事件の言及
【文字の獄】より
…1663年(康熙2)の〈明史の獄〉は,浙江の荘廷鑨(そうていろう)が朱国禎の家から入手して刊行した《明史》のなかに清朝に対する誹謗があったことを理由に,荘廷鑨の死体を暴き,家族を死刑に,さらに出版に関与したものをも含め,70余名を死刑にするという厳罰に処したものである。さらに1711年には〈南山集事件〉が起こった。戴名世(1653‐1713)の著した《南山集》の中に,明の亡命政権の清朝に対する抵抗を正当化した部分のあったことを理由に,戴名世の一族を死刑に,その他の関係者を流刑にして黒竜江省に送った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」