南枢密院(読み)みなみすうみついん

世界大百科事典(旧版)内の南枢密院の言及

【遼】より

…ただ一族の耶律大石(やりつだいせき)(徳宗)は西方に逃れ,中央アジアで遼国を再興して西遼(カラ・キタイ)と称した。
[官制,法制]
 統治の基本的体制として,軍政全般と遊牧民の民政をつかさどる北枢密院以下の北面官と農耕民の民政にあたる南枢密院以下の南面官が設けられた。北枢密院の管轄は特権階級の契丹族をはじめとする奚(けい),室韋(しつい),烏古(うこ),敵烈(てきれつ)などの遊牧民族で,これらは初め部族制集団を温存したが,しだいに中央集権的に整備された。…

※「南枢密院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む