世界大百科事典(旧版)内の南部キリスト教指導者会議の言及
【キング】より
…55年赴任先のアラバマ州モンゴメリーで,座席の差別待遇に対するバス・ボイコットが黒人市民によって起こされたとき,キングはこれをガンディー方式とキリストの愛(アガペ)を結合した非暴力直接行動nonviolent direct actionによって成功に導く。続いて南部キリスト教指導者会議Southern Christian Leadership Conference(SCLC)を結成し南部各地で非暴力研修会を開く。60年代前半の黒人闘争は,かくしてキングを五大黒人組織団結の中心的つなぎ役として展開し,世論を喚起して二つの公民権法を成立させる。…
【公民権運動】より
…公民権運動がもっとも活発であったのは,1954年の合衆国最高裁判所の人種別学法違憲判決(ブラウン事件判決)から65年の投票権法の制定に至る期間である。この時期には,黒人と白人が参加した有力な運動団体(全米黒人地位向上協会(NAACP),全国都市同盟(NUL),南部キリスト教指導者会議(SCLC),人種平等会議(CORE),学生非暴力調整委員会(SNCC)など)が中心になって,南部における人種隔離制度,差別慣行を打ち破るために非暴力・直接行動が繰り広げられた。 NAACPはすでに1930年代から人種隔離の壁を崩す訴訟戦術を始めていたが,その成果であるブラウン事件判決は公民権運動に大きな弾みを与えた。…
※「南部キリスト教指導者会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」