南都三会(読み)なんとさんえ

世界大百科事典(旧版)内の南都三会の言及

【最勝会】より

…また薬師寺の最勝会は830年(天長7)6月薬師寺仲継の発議により当寺の教学興隆に資するため,檀主直世王の上奏により始められた。毎年3月7日から13日にわたって行われ,源氏の氏人が勅使となり下向したが,供料として播磨国賀茂郡の水田70町が充てられ,興福寺維摩会(ゆいまえ),宮中御斎会とともに南都三会(さんえ)の一つとして,官僧の登竜門となった。その後慧達,平超,常全などにより興隆整備され,《延喜式》主税式によると,供料は大和,近江国よりそれぞれ黒米60石をつき,その年の正月中に寺家に送られたという。…

【御斎会】より

…宮中御斎会のこと。南都三会の一つ。新春の宮廷仏事として毎年1月8日から7日間,大極(だいごく)殿に斎(とき)を設けて本尊盧遮那仏,観音・虚空蔵の2菩薩,四天王像を安置し,《金光明最勝王経》を講説して国家の安寧を祈願した法会。…

【維摩会】より

…興福寺において毎年10月10日より7日間,《維摩経》を講説する大会。南都三会の一つ。藤原鎌足が山階陶原(やましなすえはら)の自邸を寺とし,百済尼僧法明のすすめで《維摩経》を読み,658年(斉明4)に元興寺僧福亮を講師として始めたのが最初と伝える。…

※「南都三会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」