世界大百科事典(旧版)内の南都御所の言及
【東南院】より
…1071年(延久3)の宣旨により,院主は三論宗の長者を兼ね,元興(がんごう)寺,大安寺などの三論宗を吸収して三論宗の本所となり,華厳宗の尊勝院とともに公卿・法親王が入寺し,東大寺はもちろん南都仏教界に重きをなした。1088年(寛治2)白河上皇が高野山参詣の途次に宿泊して以降,しばしば天皇,上皇などの御所となり,南都御所とも称せられた。1567年(永禄10)の兵火に類焼して以後,一時荒廃したため,1702年(元禄15)公慶上人が再興し,1763年(宝暦13)に再度宸殿などを修復した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」