世界大百科事典(旧版)内の単性論派の言及
【単性論】より
…その当時の単性論は,エウテュケスの極端な教えではなく,キリストの完全な人性を認めながらも,それが神性と結ばれると〈唯一の本性〉になるとするにとどめていた。ちなみにシリアの単性論派の指導者アンティオキアのセウェルス(セベロス)はひじょうに慎重な表現を用いている。5~7世紀のビザンティン皇帝の単性論派融和策,すなわち東方引止め策は結果としてすべて失敗し,東方は7世紀中葉からイスラムの支配下に入った。…
【ヌビア教会】より
…当時ヌビアには北からノバティア,マクリア,アロディアの三つの王朝があった。キリスト教世界ではこのころエジプトを中心に単性論派が分離を始めており,単性論派とカルケドン派の争いがヌビア布教にも反映した。通説によれば,マクリアを除く2王国は単性論派,マクリアはカルケドン派からのちに単性論派に転じたとされる。…
※「単性論派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」