《印欧語比較文法》(読み)いんおうごひかくぶんぽう

世界大百科事典(旧版)内の《印欧語比較文法》の言及

【デルブリュック】より

K.ブルクマンとともにライプチヒ大学を中心とする青年文法学派の一員として活躍した。その研究はサンスクリットを主とした統語論の領域に終始し,1886年より刊行されたブルクマンとの共著《印欧語比較文法Grundriss der vergleichenden Grammatik der indogermanischen Sprachen》(5巻)の後半部のほか,《古代インド語統語論》《統語論研究》《古代インド語の動詞》などを著した。なお《印欧語研究入門》も言語学史として貴重な著作である。…

【ブルクマン】より

…ギリシア語を中心とするインド・ヨーロッパ(印欧)語の比較研究に従事し,師クルティウスGeorg Curtius(1820‐85)に反対して画期的な論文を発表,若手研究者による青年文法学派Junggrammatikerを組織して,そのリーダーとなり,本格的な言語の歴史的研究の基礎を築いた(比較言語学)。B.デルブリュックとの共著《印欧語比較文法Grundriss der vergleichenden Grammatik der indogermanischen Sprachen》は,この領域での研究に今日もなお不可欠の大著である。【風間 喜代三】。…

※「《印欧語比較文法》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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