原子容曲線(読み)げんしようきょくせん

世界大百科事典(旧版)内の原子容曲線の言及

【周期律】より

…これらは現在の周期律の最初のいとぐちをつかんだものであったが,あまりにも独創的な内容と新奇な表現のため,その価値を認められなかった。 しかしさらにドイツのJ.L.マイヤーは,原子を原子量の順番にならべた番号(これは現在の原子番号に対応する)と元素の諸性質との関係を系統的,定量的にくわしく検討し,1869年に,〈原子容曲線〉(原子容)のように,それらの性質が原子番号の周期的関数として変化することを明確にし,また同年,ロシアのD.I.メンデレーエフは,これと独立に,元素の原子価,化合物の型式などの化学的性質をも十分考慮に入れて,現在用いられているものと本質的に同様な型式の周期表を完成した。当時はまだ未発見の元素が多かったので,メンデレーエフの周期表には多くの空欄があり,一見たよりない印象を与えるものであったが,その後それらの空欄に該当する元素がつぎつぎに発見され,それらの性質がメンデレーエフが近隣の元素の性質から予測したものとまったく一致したことから,周期律に対する学界の信頼はにわかに高くなった。…

※「原子容曲線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む