世界大百科事典(旧版)内の原水禁国民会議の言及
【原水爆禁止運動】より
…この分裂の底流にあったのは,ソ連を中心とした社会主義国の立場を支持するとともに,アメリカ帝国主義こそ平和の敵であることを明らかにし,軍事同盟,軍事基地撤去も運動の目標に加えるべきであると主張する共産党と,原水爆禁止運動の中に特定のイデオロギーを持ちこむべきでないとする社会党・総評系,日本青年団協議会,地域婦人団体連合会などの市民団体の対立であり,国際情勢における東西対立の深化がそのまま投影されていたといえよう。社会党・総評系は65年,新しい組織として原水爆禁止日本国民会議(原水禁国民会議)を結成し,その結果,14年間にわたって,日本の原水禁運動は共産党系を中心とした日本原水協,社会党・総評系の原水禁国民会議,民社党・同盟系の核禁会議の三つの潮流によって担われることになった。 しかし米ソを中心とする大国の核戦力が飛躍的に強化され,核戦争の危機が高まるにつれて,原水爆禁止運動の再統一を図る動きも生まれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」