世界大百科事典(旧版)内の《参会名護屋》の言及
【名古屋山三郎】より
…この影響下に1680年(延宝8)3月(ただし座組からは貞享年間か)江戸市村座において歌舞伎《遊女論》が上演され,初世市川団十郎の不破,村山四郎次の山三郎,伊藤小平太の葛城で大当りであった。97年(元禄10)正月江戸中村座上演の《参会名護屋(さんかいなごや)》に山三郎・不破の〈鞘当(さやあて)〉の趣向があらわれ,この後,さまざまな鞘当物がつくられるようになった。出雲のお国【鳥居 フミ子】。…
【不破伴左衛門】より
…これと同じような内容の歌舞伎《遊女論》が江戸の市村座で上演され(延宝8年初演といわれるが座組からは貞享年間か),初世市川団十郎の不破,村山四郎次の山三郎,伊藤小平太の傾城葛城で評判となり,不破名古屋の歌舞伎が流行するようになった。1697年(元禄10)1月江戸中村座上演の《参会名護屋(さんかいなごや)》に山三郎・不破の〈鞘当〉の趣向が現れ,2人の武士が廓で1人の遊女を争って刀の鞘をあてる場面が定着することになった。この狂言で不破をつとめた初世市川団十郎は,雲に稲妻の模様の衣装をつけ,以後の不破役はこれを踏襲することになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」