世界大百科事典(旧版)内の反乱法の言及
【軍事司法制度】より
…他の諸国もその影響を受け,類似の軍法を作った。イギリスは1190年の律令からジェームズ2世の軍法(1685)まで国王により公布され,議会の承認を欠き,コモン・ローの中にも軍事犯罪,軍事罰,軍事裁判所に関するものはなかったが,1689年議会は毎年改訂される法として反乱法Mutiny Actを制定し,反乱の処罰だけでなく広く軍隊の規律を定め,違反者には軍法会議により死刑その他の刑を科した。以後約2世紀間,国王の定める軍法(主として海外に駐屯する軍隊に適用)と議会の制定する反乱法が並存していたが,1881年に両者が統一され,やがてArmy Actと称する現在の法律に引き継がれている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」