世界大百科事典(旧版)内の受難劇組合の言及
【興行】より
…この演劇興行における,主体あるいは庇護者あるいは協力者としての〈宗教〉(祭礼)と〈国家〉の存在は,ヨーロッパ,そして部分的には日本においても共通の,伝統的な一つの系譜であり,たとえばヨーロッパ中世における初期の教会劇(宗教劇)や,ルネサンス以後にあらわれる多くのいわゆる宮廷劇場,国立劇場などは,それぞれその典型例であるが,それらの流れについては,おのおのの項に譲ることとして,ここでは私的,職業的な興行形態の発生・変遷を軸にして考えていくこととする。 さてギリシア・ローマの時代を経て,中世も時代が進み商・工業社会が進展すると,とりわけイギリスとフランスにおいて,演劇興行のパトロンは,教会からしだいに都市の同業組合(ギルド)に移り,それらの主導権あるいは競合によって主として宗教劇が上演されたが,フランスでは15世紀初頭に,それらのギルドから,やがてパリの興行権を独占することになる〈受難劇組合〉のような今日の劇団の萌芽をなす興行グループが発生した。そしてルネサンスを迎えると,イタリアに〈コメディア・デラルテ〉が登場,本格的に専門・職業的な劇団活動を開始した。…
※「受難劇組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」