吉備大宰(読み)きびのおおみこともち

世界大百科事典(旧版)内の吉備大宰の言及

【吉備】より

…吉備全域に濃厚な部民の分布を復元しうること,児島屯倉(みやけ)と白猪(しらい)屯倉が設置されること,大王家に直属する県(あがた)が約10ヵ所もおかれ,《国造本紀》によると吉備地域に9国造が置かれて吉備勢力の分断がはかられることなどが,それを示す。大化改新後700年(文武4)まで吉備全域と播磨を含む統轄官として吉備大宰が置かれたが,壬申の乱後に備前,備中,備後の3国,713年(和銅6)に備前から美作が分立し,政治組織としても一体性を失った。757年(天平宝字1)に上道斐太都(ひだつ)に吉備国造の称号が付与されたのが,かつての吉備の一体性を伝える最後の事例である。…

※「吉備大宰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む