吉田書簡問題(読み)よしだしょかんもんだい

世界大百科事典(旧版)内の吉田書簡問題の言及

【日中貿易】より

…翌63年には初の中国向け大型プラントである倉敷レイヨン(現,クラレ)のビニロン・プラントが日本政府により正式に認可された。しかし65年になると吉田書簡問題(当時日本が唯一合法の中国政府として認めていた台湾に対して1964年春吉田茂元首相が出した手紙の中で,日本輸出入銀行の資金(輸銀資金)を対中輸出に使わないことが約束されていた)や,中国に積極的であった池田勇人内閣にかわり親台湾の佐藤栄作内閣の登場で,日中貿易は再びかげりをみせ,他方,中国国内においても66年からの文化大革命により混乱し,日中貿易は縮小していった。 1968年からLT貿易にかわりMT貿易(覚書貿易memorandum trade)が1年ごとの更新で始まり,更新のたびに政治問題がからんで難航し,70年4月には先の政治・貿易三原則に加えて〈周四条件〉が出され,台湾に投資している日本企業やアメリカとの合弁会社等とは取引しないなど,日中貿易の〈政治性〉がいっそう強められることになった。…

※「吉田書簡問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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