吉見正頼(読み)よしみまさのり

世界大百科事典(旧版)内の吉見正頼の言及

【萩[市]】より

…東,西,南の三方に山を負い,阿武川の下流,松本川と橋本川によってできた三角州上に位置する。1551年(天文20)陶晴賢(すえはるかた)により大内義隆が滅ぼされると,石見国津和野の城主吉見正頼は陶晴賢討伐の兵を挙げ,毛利氏とともに戦い,57年(弘治3)阿武郡を攻略した。その功として正頼は長門国阿武,厚狭(あさ)と周防国佐波(さば)の3郡に領地を得たが,このとき当地一帯は吉見領となった。…

※「吉見正頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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